昔ばなし

2011年6月21日 (火)

ピアノをやめていた間の趣味遍歴

短大を卒業して就職した会社は、ほとんど定時には帰れない所でした。
でも、やっぱり趣味とか好きなことがないとダメで、いろいろやりました。
どれもそれなりにハマるのだけど、あるときピタッと興味がなくなり、次のものに映る・・・今思うとそんな感じでしたね。

社会人になってまずハマッたのは映画です。休日はほとんど映画館に通ってました。

それから
友人が講師になったのをきっかけに英会話スクール(難しくなると勉強するのがめんどくさくなってやめた)
やっぱり音楽がやりたいな、とエレクトーン(最初は簡単なのばっかり楽しく弾いてたけど、曲のレベルが上がって練習時間がなかなかとれず・・・)
そのうち近所にスポーツクラブが出来て、泳げるようになりたくて入会、しかしエアロビクスにはまり、結局今も泳げない。施設が充実していたのでスカッシュ、スクーバダイビングにも手を出す。

エアロビクスのファンクをかっこよく踊りたくて、HIPHOPのスタジオに行き出したら、エアロがだんだんつまんなくなって、クラブを退会・・・
ダンスにハマりそうになったころ、まだロイヤルにいた熊川哲也の公演を見て、おとなのバレエ教室に通い始める。

その間、人生的には
父が亡くなったり、会社辞めてプーになったり、結婚(というか入籍)、離婚、、などがありましたが
それなりに平和に暮らしてきたと思います。

バレエは好きだったけど、都合により続けられなくなり
また映画をたくさん見るようになって
アジア映画が好きだったことから、広東語や韓国語をかじったりもしました。
広東語は教室にも通ったけど、映画にお金をまわしたくてやめ
韓国語は何度も独学でチャレンジしたけどその都度挫折・・・

映画は見たいものはほとんど見ていました。札幌のシアターキノというミニシアターが大好きで、週に1回以上は通ってました(いまだに未練がましくメルマガを登録し、ツイッターをフォロー)。
しかし、無職無収入で貯金の残高も寂しくなり
これからは家で出来ることにしないと、ということになったわけ

ピアノも楽譜もあるからと、ピアノを再開することにしたけれど、新しい楽譜を買いまくり、レッスンにも通い、お金の節約の趣味とはなりませんでした。

どうしても弾きたくなって再開したわけではないのに、今はピアノに熱中しています。他の趣味のように、あるときパタっと・・・ということにはならないでしょう。
いろいろやったけど結局最初に戻ってきた、ってことです。

今でも映画は好きで、映画館には行けないけれどWOWOWやDVDで楽しんでます。映画と音楽ってけっこう関係あるし、ピアノにも役立つところがあると思うんですけどネ。

2010年12月23日 (木)

昔のこと④(これで最後です)

短大の2年間はユルユルと楽しく過ごし、2週間のヨーロッパ研修旅行にも行くことができました(親に感謝です)。
卒業が近くなり、そろそろ進路を決めなければいけない時期となりました。

上(専攻科)に残るか、ピアノ(もしくは学校)の先生になる人がほとんどでした。
今はわかりませんが、あの頃はYやKの講師には試験を受ければほぼ確実になることができて、私も一応、講師になるためにエレクトーンを習っていました。

しかし講師になれたとしても、正社員ではないし、生徒が少なければ収入も少ない。その中から健康保険や年金なども払わなければなりません。最初の数年間は、自分が使えるお金はごくわずかだというウワサを耳にしました。

私は子供の扱いが苦手、教えることにもあまり向いていない(教職課程も取らず)、ピアノや音楽が大好きなら低収入でもがまんできるけど、レコードさえ自分が弾く曲しか聴かない私に耐えられるはずありません。
親に頼んで、試験を受けられる会社をさがしてもらい、なんとか採用されました(結局その会社に16年勤め、家にもしっかりお金をいれました)。

就職が決まると、
「卒業したらもうピアノなんか弾かない!」という気持ちになり、
最後のレッスンで「あなたはこの2年で自分を表現するということがずいぶん上手くなったわね」と先生にホメられても、「はぁ・・・」という感じでした。

そして、卒業試験(ブラームスの「2つのラプソディー」の2番を弾きました)を最後に、私の“昭和のピアノ生活”は終わりました。

そして

私が、長いブランクを経て、なぜピアノを再開したかは
本館ブログに書きましたので、もし興味がありましたらそちらをお読みください。

昔のこと③

北海道で音楽科のあるところは教育大学と私の卒業した短大(今は4年制もできたけど)しかありませんでした。
地元の音大を卒業しても、せいぜい子供相手のピアノの先生がいいとこです。
やっぱり本州の音大を出ていないと、ピアノの先生としてもあまり評価されません(当時はそうでした)。
私は、音楽科志望といっても音楽の仕事をしたいからではなく、ずっとピアノをやっていたし・・・くらいの気持ちでした。だから地元で十分でした。
もし私がどうしても東京の音大に行きたいと思ったとしても、うちにはピアノOKの部屋に住んで生活費を仕送りしてもらう余裕はありませんでした。

その頃の国公立大学の共通一次試験(今のセンター試験)は5教科7科目あったので、迷うことなく(笑)、短大一本にしぼることにしました。
公立高校だったので(後輩に大泉洋)、学科については特に受験勉強の必要はなく、フツーに学校の勉強をして、あとは相変わらず怒られながらピアノのレッスンに通っていました。

無事合格し(受験曲はベトベンソナタのテレーゼ)、
ひとまわり大きい今のグランドに買い換えてもらいました。

2010年12月21日 (火)

昔のこと②

私は6歳から高校3年まで同じ先生に習いました。
その先生からは、とにかく怒られました。
今考えると、熱心だから厳しかったのではなく、単にヒステリーな性格のヒトだったようです。
良くないところを怒るだけで、どうすれば良くなるかはぜんぜん教えてくれませんでした。
あの時代、一般庶民の子供が習える(月謝を払える)ピアノの先生のレベルってそんなものだったのではないでしょうか。

レッスンに行くのはすごくイヤだったし、ピアノが大好きでもなかったし、ピアニストになりたいと思ったことは一度もないけど、ピアノをやめる気はぜんぜんなく、大学は音楽科(あくまでも地元)にいくと決めてました。
そして、まわりではある程度になるとグランドピアノに買い換えるのが当たり前みたいになっていて、私も小学生のうちにグランド(一番小さなものですが)を買ってもらいました。

小学生のとき、一度だけコンクールに出させられたことがあります。
予選はクラマー・ビューロのエチュードだったと思いますが、相当しごかれました。
そして、落っこちました。
内心、ホッとしました。まちがって本選に残っていたら、もっともっと厳しいレッスンをされて気が狂っていたかもしれません。
それでも念のため、本選の曲(モーツァルトのソナタの何か)は練習していたので、発表会でそれを弾きました。仕方なく練習していた曲なので“仕方ない演奏”でした・・・

そして、時は過ぎ、高校生になりました。

つづく

昔のこと

ピアノは6歳から習い始めました。
特にねだったわけでもなく、無理やり連れて行かれたのでもありません。

なんとなく、おもちゃのピアノや古いオルガンで遊んでいた記憶があります。
そして、幼稚園のオルガン教室(Y音楽教室)に通うことになりました。

しかし、実はその時からピアノを習うことはセッティングされていたのでした。

親戚の子がピアノを習っていて、母が私にもピアノを弾かせたいと同じ先生にお願いしたら
「今は混んでいるので、オルガン教室で楽譜の読み方を覚えてきて」と言われたそうです。

オルガン教室はとても楽しくて、幼稚園は休んでも(昔から集団行動苦手)オルガンには行くような子供でした。
そのうち、家に突然黒いアップライトピアノが来ましたが、ピアノを習うことをきかされていなかったので特にうれしかったような記憶はありません(贅沢な話しですね)。

そして、大好きだったオルガン教室をやめてピアノを習うことになりました。

スタートは順調で、バイエル(後半だけ)も特に苦労せずクリア。
発表会で弾く予定の曲を1週間で仕上げてきて、もうちょいレベル上の曲に変更ということもありました。

でも、ピアノが楽しかったのは、この頃までだったと思います。
ソナタあたりからレッスンがどんどん厳しくなって、楽しく弾くというより学校の勉強をするようにピアノを練習するようになりました。

つづく

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